2011年5月7日土曜日

平凡で平和なダラダラした一日

家で蚊が大発生、または家に蚊が大量進入しているようである。
福岡の片田舎の隙間だらけの家に住んでいても、こんなに沢山いなかった。

台湾の蚊は、刺されても痒い時間が短いので良い。
ただ、さされ痕がかぶれることがあるので、そういう時は
日本から持ってきたアンパンマンのかゆみ止めシールを貼るといい。
アンパンマンの作者やなせたかし氏のインタビューに最近ぐっと来た。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110503-00000010-pseven-soci

なんでか、デーブスペクターのツイッターをフォローし始めた。
あまりの筆まめさと、ボキャブラリーに感心する。
それにひきかえ、我がの筆不精と語彙の貧弱さといったら。
深く反省。

初芽(犬)のブラッシングをする。
三十分後、短毛にもかかわらず夜店の綿菓子2袋分くらいの毛が採れた。
ちょっとスッキリ。

夕刻、小さな揺れを感じる。
はっきり分かる程度のは今週二回目である。
防災袋を確認したり、密かに一人防災訓練する。
心配しすぎか。

蒸し暑くて、麦茶が美味しい。
台湾の二度目の夏である。

2011年4月27日水曜日

いただきます

お肉が怖くて 調理できない と
ある人が言った

私たちの食事にと 亡くした尊い命のために
いったい誰が その肉を大事に調理してあげられるだろう

生き物の肉を食べたら
自分の体が その墓場になってしまうでしょう と
他の ある人が言った

誰かのために 自分の体が
墓場になるのは そんなに悪いことだろうか

今 たまたま ここに生きて
毎日 幸運にも ごはんを食べることができる

野菜であれ 肉であれ
有り難い 大事な命を受け取り 自分の血肉 活力に変える
そして 生きる

いただきます と
そして食べたら その分
一生懸命 働けばいい

どんな命をいただくか より
命を どう いただき
いただいた命で どれだけ 多く
この世の何かのために尽くせるか ではなかろうか と

青二才の たわごと だけれど
今は そう思う

2011年3月30日水曜日

未来

以前から
ダライ・ラマ14世が
チベット亡命政府における
政治的指導者の地位からの引退を希望されていたことは
ニュースで知っていたが
チベット亡命政府議会が それを承諾したということだ
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE0E7E2E6E48DE0E7E2E1E0E2E3E39494E3E2E2E2;at=ALL

今日は ちょうど ダライ・ラマの自伝を読んでいた
率直で思慮深く愛に満ちたダライ・ラマの言葉は
翻訳されたものでありながら
読み進むうちに だんだんと
心が深く あたたかく 静かな場所へ潜っていくような
それでいて感覚の一部分が鋭くなっていくような
不思議な意識状態に引き込んでいく力を持っている

「敵となるのは
 人間自身というより
 むしろ人間の行為ではないか

 行為が変化すれば
 その同じ人間が良き友に
 十分なりうるのだ」

これからの未来に
私たちは こころから どれだけ
人を憎まずに
人を慈しむことができるだろうか

最近は よく そういうことを考えている

2011年1月7日金曜日

あけましておめでとうございます

台湾の1月1日は公休だけど
開国記念日(今年は建国百年)だからで
元旦だからというわけではない
農暦中心に動く台湾では
太陽暦の正月は そこまで重要ではないようだ

たましゃん と あきくんが遊びに来てくれて
この数日 台北を 食べて 見て 歩いた
つたない中国語で 下手くそなガイドをしながら
まだまだ 台湾の面白いところを見つけきれてないな と思う
今年一年は少しずつ いろんな場所にいきたい
二人とも 遊びに来てくれてありがとう

仕事をはじめてあっという間に数ヶ月が過ぎた
仕事に慣れると 同時に 慢心も生まれる
合理的に仕事をしているのか 怠けているのか 
時々 自分に問い直す

ひとつのことに頭がいっぱいになると
ほかが手につかなくなるのが悪い癖だ
年賀状も新年の挨拶も碌にしていなかった 反省

仕事に誠実に 人を大切に 自分に正直に
そういう生き方ができる人間になりたい

この場を借りて 遠くの愛しい友人たちに

あけましておめでとう
今年が良い一年でありますように
素晴らしいことが たくさん たくさん ありますように
健康で過ごせますように
平和でありますように
今年もどうぞよろしくお願いします

2010年12月1日水曜日

テレビのない生活

先日 同居人と夕食を食べに行った店に テレビが置いてあって
気がつくと 二人ともジッとテレビに見入っていた
「テレビがある家に上がりこむ 戦後の日本人みたいだね」
「たまに見ると CMさえ新鮮に感じるねぇ」と笑って
またニュース番組に目を移した

台湾に来てから テレビを見ない生活をしている
そういう時間もないし 特に見たい番組もない
テレビがないと 家の外の音がクリアーに聞こえてくる

廃品回収の掛け声
建設工事の重機音
登下校中の子供の声
教会やモスクやお寺から流れる お祈りや歌
つたないピアノの練習曲
風に揺れる木の葉の音
雨の音
裏のお屋敷にやってくる鳥の声

世の中の情報には疎くなったが
生活上さして不自由はない
自分のまわりにある事実を 素直に感じ取れるような気がする

台湾に来て10ヶ月半が過ぎた
最近 来たばかりの頃をよく思い出す
来たばかりの頃は何もかもが新鮮に見えた
あの頃はまだ「旅する」世界 にいたように思える
今でも新しい物事には たくさん出会うけど
今の自分は 台北に「暮らす」目線で
それらと向き合っているように感じている
それは事実で いいことでも 悪いことでもない

ただ 台湾という国を見つめる
もうひとつのフィルターを
いま 手に入れ始めたのだろうことは
この国との 距離が縮まったようで
うれしいと思う

2010年11月21日日曜日

おいしい芭樂の見分け方

芭樂(ばーらー)と書いて グァバ のことである
台湾では 芭樂が とにかく一年中食べられる
ひとつ大体50~70日本円くらい
台湾で見かける 芭樂は 色で大きく分けて二種類
中が薄赤いのは野生のもので少し高い
中が白い方が一般的だ
私は白い方が好きだ

さて この芭樂
個人差があるだろうが 私は柔らかくて甘いのが好きだ
ほぼ毎日一個の頻度で食べ続け 数カ月
最近 おいしい芭樂を見分けられるようになってきたようだ

① 少し小ぶりのもの
② まん丸で表面に凸凹がないもの
③ 外側はやや黄色味をおびた色の薄いもの
④ 全体的に柔らかいもの(目安:トマト)

以上の条件をおさえた芭樂は
90%の確率で クリーミーで甘くておいしいのである

芭樂は
皮と種も含めて丸ごと食べられる
さっと水で洗って丸かじりする
実は芭樂の種は お通じに よく効く

甘草(天然甘味料の一つ)に漬けたものや
ジュースも売っているが そんなもん決して買うんじゃない
シンプルに美味しい芭樂を
何もつけずに 丸かじりが最高に美味しいんである
もし芭樂を見つけたら お試しあれ

2010年11月17日水曜日

紅豆包心圓

台北の11月
平均気温は23度
毎日 雨が降る
台湾の空気は湿度が高いので
実際の体感気温は数字で見るより寒く感じる

少し前までは
豆花や仙草をかき氷入りで食べていたが
今は熱々のぜんざいが恋しい

太順街の行きつけの屋台では
紅豆包心圓(ほんどぅばぉしんゆぇん)というのがある
柔らかく煮た小豆一粒一粒をタピオカでんぷんで
コーティングしてムチムチに茹で上げた包心圓を
甘い粒ぜんざいに入れたものだ

寒い日は これが一等おいしい
ここの老闆(らおばん:店主)は ひょうきんな おじいちゃんで
「テストに合格しないと食べられないよ」と
お客を試す
「紅豆包心圓 いっこ くださいな」というと
「いっこかい!?」といって
一粒の包心圓を取り出して見せる
「紅豆包心圓 一椀 くださいな」これが正解なのだ

会計には「はい 4万元ね(本当は40元)」
どっかで聞いたようなネタだが
おじいちゃんが言うとなんか 心があったかくなる

紅豆包心圓
名前もいいではないか
心を包んだ まん丸
木喰上人の句のようだ

みなひとの こころをまるく まんまるに
どこもかしこも まるくまんまる

きゅうきゅう ムチムチ まんまるの包心圓をほおばって
私の心も まんまるになるといいなぁ と
雨音を聞きながら思っていた